古民家での疎開者受け入れのこと。
2012年 07月 29日
古民家での疎開者受け入れのこと。
原発について語る、ということ。
まず、ご報告。
放射能の汚染濃度の高い地域に住まれている方々に短期間でも放射能の心配から離れて暮らしていただければと、空き家になっている古民家を受け皿として開放しています。ただいま、被災者支援ネットワーク「hahako」さんを通じて、ネット上で募集をかけていますが、条件がマッチしないようで、応募がない状況です。
だからといって、被災地での需要がないわけではなく、四日市の社宅においては応募が殺到していたようで、すでに期間内埋まっているようです。古民家のあるいなべ・藤原地域は車の足がないところにも関わらず、私が妊婦で動きづらいということもあって、フォローすることがあまりできないので、そういった条件的なところでマッチしないのだろうなぁと思います。(もうちょっと条件を変えて、アップしなおそうかな...)
というわけで、まぁ、無理やり呼び込むもんでもないので、これからも「こんな受け皿ありまっせぇ~、どうでっしゃろ?」と、夏休みいっぱい長期的に募集して、よいご縁があれば、という感じです。予定していたプログラム(ウェルカムバーベキューやお寺での座禅&お話会、カフェなどでの割引、おみやげ)は、応募があればその個々人、ご家族とのご相談で再設定です。
そんなこんなを、ご協力をお願いしていたお店やお寺さんにご連絡したところ、みなさんとても快く「またできることあったら、何でも言ってやぁ」と温かい言葉をかけてくださって嬉しかったです。
8月1日に四日市の社宅へ入居される方たちとの交流会があります(応募殺到のところ。「hahako」さんがコーディネートされているという安心感もあるんだろうなぁ)。一般者も参加できるので行ってみようと思います。被災地の方がたの状況、気持ちを少しでも知り、分け合えたらなぁと。おせっかいでもなく、自己満足でもなく(ある意味、自己満足はあるのだけど)同じ時代を生きるものとして、できること。
そこにある命は、もうひとりの自分だと思うのです。
こないだのお寺さんでの脱原発講座でもおっしゃっていました。
原発がどれだけの命の犠牲のうえになりたっているか。
今もなお、福島やホットスポットでは高い放射線濃度を示し、その中で生活をされていることが、いかに命を削り取っているか。。。
震災以前は厳重に管理されていたような放射線濃度のなか、放射能が見えないことをいいことに、放置されているのです。そして、それによって引き起こされる影響、危険性はまだ誰も『わからない』のです。
これらの事実が、
日本国内であまり知られてないように見えます。
そのことに愕然とします。
(みなさん、知らされていないし、知りたくないようにさえ見えます。
どうなのでしょう?)
現地に行かれたことのある方々(専門家やジャーナリスト、活動家、ふつうの生活者)のお話を聞くと、どうも、放射線濃度は実際より低く報じられているようです。
食べ物から受ける内部被ばくの危険性についてももっと知らされるべきです。数億年だか途方もない時間をかけて、生命のバトンタッチで築き上げられてきた遺伝子。その遺伝子が傷つけられるのです。
見えないから、ちょっと実感が湧きにくいけれど、これは『知らない』でいるわけにはいきません。この時代に生きるものとして、次の世代へのバトンを継ぐものとして、許すわけにはいきません。
原発の話をすると
それだけで、ある人は『過激だ』と嫌煙し、
ある人はムズカシイ問題だといいますが、
そうでしょうか。
音楽家の坂本龍一氏がおしゃっていたそうです。
「今の時代、核について語らないほうが野蛮だ」と。
オザケンこと小沢健一も言ってました。
「デモのある社会はむしろ健全。
声をあげられない社会の方がキケン」
私もそう思います。
確かに脱原発はムズカシイ問題かもしれません。
それは、政治構造的にがんじがらめになってるからです。
原発のほうが電力会社が儲かるシステムになっていて、既得権益者が利権にむらがって手放そうとしないからです。
エネルギーの問題ではありません。
しかし、知れば知るほど、
原発に頼らなくてもこれからの社会は成り立つ、
という自信も湧いてきます。
みなさ~ん。私たちは電力会社に騙されています。
原発はなくても、電力は足りているのです。
火力・水力をマジメに稼働させればそれで大丈夫なのです。
エリアごとに足りないところがあるというのもウソで、全国の送電線で融通を聞かせ合えることも、事実上わかっています。
本来は負の遺産であるはず放射能廃棄物さえ、あらゆる危険があるにも関わらず、再生可能なモノとして資産と計上し、より利益を得られるシステムになっているのです。電力会社は原発を作り、動かすほどに儲かる構造になっているのです。
確かに、この構造を変えるのは一筋縄でいかないだろう。
ムズカシイ。。。。
けれど、原発が未来に必要かどうかと言ったら...
それはシンプルだ。
いらない!
簡単なこと。
原発がいらないと表明することは、
生活者として当然のことだと思います。
(だって知れば知るほど、いいことがちっともないんだもの!)
そのことを語りにくい空気感こそがヘンじゃないのかなぁ。
生活の一部として
暮らしを大切にする一市民として
私はふつーに語り合いたい。
(アツクなりやすいので注意は必要ね。)
だから、もっと気軽に。
今晩のおかずについて話題するがごとく、
オリンピックの話題をするがごとく。。。
ちなみに
多湖家の昨日の夕飯は
土用の丑の日の翌日、スタミナつけよう!ということで
(昨日家族揃えなかったから)
ホットプレート囲んでお家焼肉!!!
「野菜いっきに載せすぎー煮物になるやんけ~」
「もっと肉のせて!」「のせすぎ!」「早く食べたいもん」
「ズッキーニうまいっ!」
などと言って、汗をダラダラかきながら食べました☆
そして夕飯後、女子サッカー「なでしこジャパン」観戦。
「行けー!」「あああああ!」「惜しい!」
「スウェーデン人デカっ」「きれいな人多いな」などと言いながら。
0-0の引き分け!あぁ、ひやひやしたわぁ。
柔道女子48kg級福見選手あぁ残念!応援してたけど!
敗者復活戦がんばれ!
1歳の息子は
そんなオトナの興奮(?)をよそに、
湯上りのミルクに夢中だ。
シンプルなことです。
私たちの未来に
原発はいらない。
原発について語る、ということ。
まず、ご報告。
放射能の汚染濃度の高い地域に住まれている方々に短期間でも放射能の心配から離れて暮らしていただければと、空き家になっている古民家を受け皿として開放しています。ただいま、被災者支援ネットワーク「hahako」さんを通じて、ネット上で募集をかけていますが、条件がマッチしないようで、応募がない状況です。
だからといって、被災地での需要がないわけではなく、四日市の社宅においては応募が殺到していたようで、すでに期間内埋まっているようです。古民家のあるいなべ・藤原地域は車の足がないところにも関わらず、私が妊婦で動きづらいということもあって、フォローすることがあまりできないので、そういった条件的なところでマッチしないのだろうなぁと思います。(もうちょっと条件を変えて、アップしなおそうかな...)
というわけで、まぁ、無理やり呼び込むもんでもないので、これからも「こんな受け皿ありまっせぇ~、どうでっしゃろ?」と、夏休みいっぱい長期的に募集して、よいご縁があれば、という感じです。予定していたプログラム(ウェルカムバーベキューやお寺での座禅&お話会、カフェなどでの割引、おみやげ)は、応募があればその個々人、ご家族とのご相談で再設定です。
そんなこんなを、ご協力をお願いしていたお店やお寺さんにご連絡したところ、みなさんとても快く「またできることあったら、何でも言ってやぁ」と温かい言葉をかけてくださって嬉しかったです。
8月1日に四日市の社宅へ入居される方たちとの交流会があります(応募殺到のところ。「hahako」さんがコーディネートされているという安心感もあるんだろうなぁ)。一般者も参加できるので行ってみようと思います。被災地の方がたの状況、気持ちを少しでも知り、分け合えたらなぁと。おせっかいでもなく、自己満足でもなく(ある意味、自己満足はあるのだけど)同じ時代を生きるものとして、できること。
そこにある命は、もうひとりの自分だと思うのです。
こないだのお寺さんでの脱原発講座でもおっしゃっていました。
原発がどれだけの命の犠牲のうえになりたっているか。
今もなお、福島やホットスポットでは高い放射線濃度を示し、その中で生活をされていることが、いかに命を削り取っているか。。。
震災以前は厳重に管理されていたような放射線濃度のなか、放射能が見えないことをいいことに、放置されているのです。そして、それによって引き起こされる影響、危険性はまだ誰も『わからない』のです。
これらの事実が、
日本国内であまり知られてないように見えます。
そのことに愕然とします。
(みなさん、知らされていないし、知りたくないようにさえ見えます。
どうなのでしょう?)
現地に行かれたことのある方々(専門家やジャーナリスト、活動家、ふつうの生活者)のお話を聞くと、どうも、放射線濃度は実際より低く報じられているようです。
食べ物から受ける内部被ばくの危険性についてももっと知らされるべきです。数億年だか途方もない時間をかけて、生命のバトンタッチで築き上げられてきた遺伝子。その遺伝子が傷つけられるのです。
見えないから、ちょっと実感が湧きにくいけれど、これは『知らない』でいるわけにはいきません。この時代に生きるものとして、次の世代へのバトンを継ぐものとして、許すわけにはいきません。
原発の話をすると
それだけで、ある人は『過激だ』と嫌煙し、
ある人はムズカシイ問題だといいますが、
そうでしょうか。
音楽家の坂本龍一氏がおしゃっていたそうです。
「今の時代、核について語らないほうが野蛮だ」と。
オザケンこと小沢健一も言ってました。
「デモのある社会はむしろ健全。
声をあげられない社会の方がキケン」
私もそう思います。
確かに脱原発はムズカシイ問題かもしれません。
それは、政治構造的にがんじがらめになってるからです。
原発のほうが電力会社が儲かるシステムになっていて、既得権益者が利権にむらがって手放そうとしないからです。
エネルギーの問題ではありません。
しかし、知れば知るほど、
原発に頼らなくてもこれからの社会は成り立つ、
という自信も湧いてきます。
みなさ~ん。私たちは電力会社に騙されています。
原発はなくても、電力は足りているのです。
火力・水力をマジメに稼働させればそれで大丈夫なのです。
エリアごとに足りないところがあるというのもウソで、全国の送電線で融通を聞かせ合えることも、事実上わかっています。
本来は負の遺産であるはず放射能廃棄物さえ、あらゆる危険があるにも関わらず、再生可能なモノとして資産と計上し、より利益を得られるシステムになっているのです。電力会社は原発を作り、動かすほどに儲かる構造になっているのです。
確かに、この構造を変えるのは一筋縄でいかないだろう。
ムズカシイ。。。。
けれど、原発が未来に必要かどうかと言ったら...
それはシンプルだ。
いらない!
簡単なこと。
原発がいらないと表明することは、
生活者として当然のことだと思います。
(だって知れば知るほど、いいことがちっともないんだもの!)
そのことを語りにくい空気感こそがヘンじゃないのかなぁ。
生活の一部として
暮らしを大切にする一市民として
私はふつーに語り合いたい。
(アツクなりやすいので注意は必要ね。)
だから、もっと気軽に。
今晩のおかずについて話題するがごとく、
オリンピックの話題をするがごとく。。。
ちなみに
多湖家の昨日の夕飯は
土用の丑の日の翌日、スタミナつけよう!ということで
(昨日家族揃えなかったから)
ホットプレート囲んでお家焼肉!!!
「野菜いっきに載せすぎー煮物になるやんけ~」
「もっと肉のせて!」「のせすぎ!」「早く食べたいもん」
「ズッキーニうまいっ!」
などと言って、汗をダラダラかきながら食べました☆
そして夕飯後、女子サッカー「なでしこジャパン」観戦。
「行けー!」「あああああ!」「惜しい!」
「スウェーデン人デカっ」「きれいな人多いな」などと言いながら。
0-0の引き分け!あぁ、ひやひやしたわぁ。
柔道女子48kg級福見選手あぁ残念!応援してたけど!
敗者復活戦がんばれ!
1歳の息子は
そんなオトナの興奮(?)をよそに、
湯上りのミルクに夢中だ。
シンプルなことです。
私たちの未来に
原発はいらない。
by totomie
| 2012-07-29 06:53